2024年 03月 12日
時間 |
図らずも生まれ故郷である小林市に帰ってきた。
2度とこの地を踏むものかという思いであったが人生色々、何があるかわからない。
今こうして、閉鎖したはずのブログを再開しているのも特段理由があるわけではなく、単なる暇人のよしなし事をそれなりの人間が待ち侘びているという話がちらほらあったので再開してみただけである。中には「FBやインスタなんかどうでもいいから、さっさとブログを書きなさいよ!どうせあんなの誰も見てないんだから!」と要求と失敬が混ざった物言いをするのもいた。
田舎というのは金が一つも転がっていない代わりに、時間だけは無駄にある。この空間の中にいると頑張ろうという気も段々と薄れて行き、「何ともならんけど何とかなるんじゃないか?」という逆説でも正論でもない理屈を超えた考えになってしまう。
私だけでなく、この地域全体が男も女も大体似たようなもんである。また、それを許してしまう風潮もある。
強く言ってしまったところで、自分もてげてげだからあまり言うと自分に跳ね返ってくる可能性が高いのである。
規律というものが一本の柱という体裁を保てず、ユルユルのスライム状になっているにもかかわらず頑張ったところで5分も持たずへっしゃげてしまうのでどうしようもない。諦めが肝心である。
小林には百姓村というのがある。本当は「百笑村」というのだが変換が面倒くさいので百姓村にする。
JAコバヤシが運営している直買所のようなとこである。
地元に戻ったら一旦ピエモンテ料理を離れ、地元の食材を使い生産者とも広く交友を深めようと思っていたのでその一環として小林産の小麦を使おうと思って出向いたのである。小林で小麦というのは中々珍しいのでこだわりのある生産者、つまるところ小林のアルチザンなんだろうと思った。
店内をしばらく歩いていると米粉やそば粉と混ざって置いてあった。
500g250円と書いてある。
1kgだと500円になる。
我々が使う業務用25kgのズタ袋に換算すると12500円になることが判明すると俄かに「小林のくせに生意気だ!なにがアルチザンだ!」と腹が立ったが取り合えず試してみることにした。
レジに持っていくと女性従業員が商品を受け取り「250円です」と言った。
財布の小銭を探ったが足りないようだったので1000円札をトレーの上に置いて渡したら、女性従業員の反応がない。
反応がないので、しばらく待ったのだが相変わらず反応がないので「すいません・・・・」と促すと、ハッと気づき
「す・い・ませ~ん・・・・ぼ~っとしてました~」と信じられない反応をしてきた。
あまりにもびっくりしたので「僕も、いっつもぼっとしてますから」と迎合すると、そんな言葉は無視するように再び「す・い・、ませ~ん。ぼ~っとしてました~」と2回繰り返した。
この従業員は私が小銭を漁り、足りないことに気づき1000円札を出した間隙を縫ってぼーっとしていたのである。
その短い間に「ぼーっとモーション」に入れるタフさが中々だと思ったが、さすがに特殊ではある。
特殊ではあるが方向性としては間違っていない。所詮、小林である。
私が高校生の頃、学校にマドンナが二人いた。
たまたまその二人が同じクラスであり私も同じクラスになったことがあった。
二人のマドンナは仲が良くしょっちゅう一緒にいたがポー軍団と呼ばれていた。
ボーっとしているからポー軍団というわかりやすいあだ名が付けられたわけだが、二人のマドンナが揃いも揃ってボーっとしている市町村立高等学校なんてあるのだろうか?マドンナとはかくあるべきという理想像すら地域性が飛び越えてしまうのである。
持ち帰って、とりあえずパンを作ってみた。
出来上がったパンを食べてみると朴訥で素朴な感じが気に入った。また、寒い中、発酵もそこそこいけたので農薬はあまり使っていないんだろうなと好感も持てた。
そうなってくると、12500円でも良いではないかと素直に思えたのでこの小麦粉のことをよく知ろうと思い、袋に生産者の名前と共に書いてあった電話番号にかけてみることにした。
電話がつながると「百姓村です・・・」と言ってきたので「お前かよ・・・」と思ったが小麦のことを訊ねてみることにした。
袋には小麦粉としか書かれていなかったのでこの小麦粉に含まれるたんぱく質含有量やおよその吸水率、ざっくりそもそもこの小麦粉は硬質・軟質どのあたりに分類されるのかを聞きたかったのだが百姓村では無理だろうとも思った。なんせポー軍団である。私の鋭い質問に答えられるわけがない。
電話先の従業員はあたふたしながら「少々お待ちください・・」と言い、何人かを集めて小田原評定を始めたようであったが「こちらでは分かりませんので、訊ねてみますね」と想定内のセリフを言い生産者からの返答を待つことにした。
しばらくすると生産者から連絡があったらしく取り次いだ百姓村から電話が来た。出ると
「先ほどはすいませ~ん・・・・。今返事が来たのでお知らせしますね!」と少々興奮ぎみに話し始めた。「ありがとうございます。わざわざすいませ~ん」とわたしも少し大袈裟に返した。
「それでは、先ほどの返答です。生産者の方が言うには・・・・え~っと・・・・お菓子にはダメかもしれないが、うどんにはいいかもしれない・・・ということでした」
「・・・・・それだけでした?」と私が聞くと
「はい、そのようなことでした。お待たせいたしてすいませんでした」
と、話を切り上げようとしたので私もそれ以上聞くことができず「お手数をおかけしてすみません。ありがとうございました」と礼を言うと「いやいや、何か困ったことがあったら何でも聞いてくださいね」と言って会話は終わった。
つまるところ、小麦粉を作っている人間も、売っている人間も、使っている人間も何だかよく分かっていないのである。
美は細部に宿らなくても良いのである。
相も変わらず、小林時間はゆらゆらと流れていた。
#
by piccolaa
| 2024-03-12 23:30